インターリンク ・ 学生映像作品展 2007


<東京会場シンポジウム>
日時 10月27日(土) 18時〜20時
場所 日本大学芸術学部江古田校舎東棟 EB1教室
題目 「メディアアートと映像教育の現在」
パネリスト(五十音順)
相内啓司(京都精華大学芸術学部
大津はつね(東京工芸大学芸術学部
奥野邦利(日本大学芸術学部
風間正(明星大学情報学部)
黒岩俊哉(九州産業大学芸術学部
佐藤博昭日本工学院専門学校
末岡一郎(阿佐ヶ谷美術専門学校)
波多野哲朗(日本映像学会会長・日本大学講師)
ほしのあきら(多摩美術大学
李容旭(東京工芸大学芸術学部

シンポジウムの様子
 シンポジウムは台風20号の影響で、実施が危ぶまれたが、スクリーニング終了後に同会場にて、定刻通り開始された。天候不順もあって、会場には日本大学芸術学部の学生を中心に、会員、非会員を含めて約70名の参加となった。
 まず、今回の東京会場幹事校を担当し、シンポジウムの進行役を務める日本大学芸術学部の奥野より、参加校それぞれの作品制作に関わる特色的な部分について、推薦者もしくは指導者が、どのような問題意識と、それに基づく教育が施されているのか、その取組みの方法も含めて、状況の整理を念頭にパネリストへ意見を求めた。
 はじめは、「インターリンク 学生映像作品展」の命名者である、京都精華大学の相内会員より会の理念的な部分への発言となった。相内会員は1980年代には盛んであった学生作品の交流の場面を「ふくい国際青年メディアアート・フェスティバル」や、「インターカレッジメディアアート・ワークス」など、具体的な名称を上げて紹介し、バブル経済崩壊後に一旦消えてしまった学校間の交流がそれ以上進まない状況を鑑みて、作家を中心に組織している日本映像学会・映像表現研究会において、交流の場を開こうとの提案があり、それがこの会に結びついている旨を紹介した。
 続いて九州産業大学の黒岩会員からは、推薦作品のバリエーションの豊かさと、それが日本の文化だけではなくて、アジア、環太平洋といった地域を越えて、新しいものが集まる福岡の特徴ではないかと、映像教育のサイドから発言されている。
 多摩美術大学のほしの会員は、作品をまとめていく際の客観性と、客観的にとらえる前段階として必要になる、表現するための主観の関係について、自身の8ミリ、16ミリフィルムの創作体験を実例として示唆し、それはメディアアートの問題でもあると述べている。
 ほしの会員の発言を受けて、東京工芸大学の大津会員は、表現者になるということの覚悟と、細部まで見て、感じ、それをフィードバックすることの必要性を強調している。
 同じく東京工芸大学の李会員は、何かしら感動を覚えるような作品や作家との出会いの重要性を強調し、単純に実写とCGで合成することを目的にするような作品ではなく、作品の内容をしっかり把握することが大事であるとの考えが述べられた。
 日本工学院専門学校の佐藤会員からは、技術者養成の問題意識と、映像表現を中心とした映像教育の問題とは、意識として大きな乖離があり、その部分を埋めていく事が重要で、そのことは18歳以前の学校にも降りていくべきこととし、その上でモチベーションなり、覚悟なりの議論になるのではないかとの提案があった。
 この会の発案者の一人である明星大学の風間会員は、インターリンク、インターメディアという言葉から、さまざまなジャンルのものが、越境して交流し合うことの意味を、60年代のアメリカと日本の状況や自身の体験に結びつけながら強調し、相互に浸透し合える場の重要性を訴えている。
 日本大学の奥野はパーソナルコンピュータの発達によって、テクノロジーが標準化し、技術と表現そのいずれも境界が見えづらくなっていて、主観というのが曖昧になっていていることに危うさがあると述べた。
 再び京都精華大学の相内会員からは、創作以前の理論的バックボーンの重要性と同時に、場とその関係、人間との関係、社会との関係というようにアートの問題を、社会の状況と無関係に思考する事はできないとの認識が示された。
 また会場から突然壇上に呼上げられる格好となった、阿佐ヶ谷美術専門学校の末岡会員は、学生というポジションではあれ、大人が生み出す作品とすれば、それはひとつのアイデンティファイされたものとして対等にみるべきで、それを前提にして、今回「抽象的な映像を超えて−beyond the abstract image」というタイトルのキュレーションワークを行ったとのことだった。
 進行役から無理なまとめを依頼された、波多野哲朗日本映像学会会長は、今回参加の作品からも推薦者の発言からも、映像ということでは共通していても、その価値基準や、判断の根っこでの姿勢にはかなり違があり、そのことはむしろ面白いことであるとし、このような企画によって眺める機会があるから初めてその違いが分かるし、そうでないと限られた環境のなかでつくるものだけが、映像である、というふうに考えてしまうとした。またバブル時代のように大きいスポンサーがつくわけではない、こういう環境のなかで作り手たちが集まって、作品とともに話し合ったりする。そこでは歴史のなかで分断されてきた、見ることと作ることが、あるいは語ることが、いっしょにできるような環境を作り上げることが大事であるとした。
 このあとは学生からの質問に答える形で、芸術、産業、コミュニケーション、パフォーマンスなどのキーワードを、各パネリストと参加者とが、それぞれの体験を踏まえた熱気あるディスカッションとなった。
 連絡体制の不備にも関わらず、13校の参加を得られ、充実したプログラムとなったが、今後の取組みには会員諸氏の更なる協力を仰ぎたい。

なお、この報告はシンポジウムの進行を含め、東京会場のコーディネイトを担当した奥野が伊奈新祐研究会代表より委任されて執筆した。

(奥野邦利:日本大学芸術学部映画学科)